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製品から知る

国産初、炭素繊維「カーボロン」の工業化

鉄よりも強く、アルミより軽いと言われる炭素繊維。その中でもポリアクリロニトリル(PAN)からつくられる、PAN系と呼ばれる低強度PAN系炭素繊維を日本で初めて工業化したのが日本カーボンだった。

単繊維、綿、織布、フェルトなどにカタチを変えたこの製品は「カーボロン」と名付けられ、主として高炉内用断熱材として利用された。その後、パッキン材・軸受材として、テフロンとの複合材「カーベスト」などが生み出され、1969年には、再び、日本初の高強度PAN系炭素繊維「カーボロンZ」の開発・製造を開始。1970年代に入り、炭素繊維強化プラスチック(CFRP)の強化材としての需要が拡大する中、NF(NEWファイバー)と呼ぶ、さまざまな炭素繊維製品群を増産した。 1977年には、炭素繊維の生産技術が評価され、当時の社長、石川敏功が、日本化学会の科学技術賞を受賞した。

2000年代に入り、H-llAロケット、宇宙探査機・はやぶさのエンジンまわりの断熱材として「カーボロン」が採用。2001年、2010年には、貢献メーカーとして、宇宙開発事業団から感謝状を授与された。

半導体産業に欠かせない特殊炭素製品

半導体の基板材料であるシリコンウェーハの製造には、炉内部材としてカーボンが用いられてきた。日本カーボンでは、1983年からCIP材(等方性黒鉛)と呼ばれる特殊炭素製品の製造を開始。その後も、シリコンウェーハ大型化への対応、シリコンインゴットの純度を高めるSiCコート設備の導入と、設備の拡充を重ねてきた。

1998年には、黒鉛材料製造における効率化を目的に、VMC(Voatile matter control)技術を開発。コークスなどの黒鉛材料を混ぜるときに、揮発性物質をあらかじめ飛ばすことで、焼成後の気孔を減らし、焼成回数も減らすことができる画期的な方法として市場に評価された。

2003年以降、特殊炭素製品の製造は、関係会社である新日本テクノカーボンに移管。ソーラーパネルにシリコンを利用する太陽光発電市場の拡大もあり、その後も順調に、さまざまな種類の特殊炭素製品を生産している。

スマホから自動車まで。カーボン系負極材

カーボン系負極材は、1990年代に入って生まれた、まだ新しい事業分野である。日本カーボンでは、1990年にリチウムイオン電池が初めて商業生産されたころから開発・製造に取り組みはじめ、2年後にはサンプル出荷、5年後には商業取引開始と、製造・販売とも、順調な滑り出しを見せていた。

2000年代にかけて、カーボン系負極材は、韓国・中国企業などへの輸出も増大し、日本カーボンの事業の柱のひとつに数えられるほどの成長を遂げていた。

今後は、スマートフォン・タブレット向けのパウチ型電池用途、低温特性を生かした寒冷地用のハイブリッドカー・電気自動車用バッテリー用途の拡大が見込まれている。

世界初ロータリーエンジン実用化に貢献

1960年代初頭、マツダ(当時・東洋工業)社は、夢のエンジンといわれたロータリーエンジンの実用化を目指して努力を重ねていた。多数の難題を抱えていた開発陣にとって、最大の課題は「チャーターマーク」と呼ばれるローターハウジング内壁の摩耗・劣化であった。三角形のローターのそれぞれの頂点には、アペックスシールという気密性を保持する部材が取り付けられており、この部材の強度、耐久性が問題解決のカギだった。

開発陣による材質研究が行き詰まっていた頃、工業新聞に掲載された日本カーボンの素材(パイロリティック・グラファイト)記事が、東洋工業社長の目に留まった。それを機に、日本カーボンは、アペックスシールへの取り組みを開始。東洋工業社と共同で研究、試作を繰り返し、ついに1964年、アルミニウム合金との複合カーボン材を開発。金属の強度とカーボンの潤滑性を併せ持つ、アペックスシールにふさわしい素材を誕生させたのだった。

このロータリーエンジン用カーボンアペックスシールは、ロータリーエンジン実用化の大きな障壁であったチャーターマークを一掃するとともに、走行1万kmあたり0.1mm以下の摩耗量という驚異的な性能を示した。

その後もアペックスシールの改善を重ね、走行試験を経て、1967年、ロータリーエンジン搭載車「コスモスポーツ」が発表された。世界で初めてロータリーエンジンの量産化に成功した瞬間であり、日本カーボンの技術力が世界的に認められるきっかけともなった。

国産初の可とう性黒鉛「ニカフィルム」

配管の継ぎ手や圧力容器のバルブへ挟み込んで隙間をふさぐための部品、ガスケット。このガスケットには、従来、アスベスト製品が広く使われてきたが、1970年台以降、アスベストの有害性が認知されてくると、その代わりになる耐熱性カーボンシートへの需要が高まってきた。

日本国内では耐熱性カーボンシートは製造されていなかったが、1974年、「ニカフィルム」の開発に成功。日本カーボン独自の製造技術で、国産初の可とう性(柔軟性があり、ポキッと折れてしまわないこと)カーボンシール材が生産開始された。

1980年代から自動車用ガスケットを中心に需要は急拡大し、日本カーボンでも増産を続けていたが、その後、2000年を前に需要が縮小。30年近く産業界を支えてきたニカフィルムだが、2017年の現在、売上に換算して年間1億円程度の量を生産するにとどまっている。

日本の化学工業発展の礎「レスボン」

戦後まもなく、日本カーボンでは、カーボン材料に合成樹脂を含浸(目に見えない隙間に浸して含ませること)した機密材料の研究に着手。1949年に、工業化に成功し、この製品は「レスボン」(開発当初は「ニカベイト」)と名付けられた。

工場内の設備で、これまでガラス管が使われていた箇所に、小型で丈夫な「レスボン」が用いられるようになると、各社のプラントで生産量が大幅に上昇。石油化学工業、ソーダ工業、硫酸工業などにとっては欠くことのできない機器となり、「業界が発展したのは、日本カーボンの不浸透黒鉛(レスボン)のおかげ」とまで言われるほどであった。

その後、排ガス・廃液などの環境汚染対策用途、アジア圏へのプラント輸出などでも「レスボン」は生産を拡大し、戦後の化学工業の発展を長く支え続けてきた。