はやぶさ

2003年に打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ」は、約7年の歳月をかけて50億kmの長旅を終え、2010年6月、地球に帰還。

回収カプセルのシートシールドには、日本カーボンの炭素繊維を使った複合材が使用され、再突入時の1万度にもなる表面温度から貴重な試料を守り抜いた。

2010年12月、はやぶさプロジェクトサポートチームの一員として、宇宙開発担当大臣および文部科学大臣より、日本カーボンに感謝状が授与された。

燃えない 繊維

1300度の高温空気中でも燃焼せず、優れた安定性を発揮する炭化ケイ素系繊維「ニカロン」。スペースシャトル耐熱部品への採用をはじめとして、その性能を高く評価されていたが、肝心の用途が見つからず苦戦を強いられていた。
だが、2006年、米GE社および仏サフラン社が、この素材の耐熱性、耐酸化性に着目。後継素材「ハイニカロン」「ハイニカロンタイプS」を、小型航空機向けエンジン「LEAP」の高圧タービン部に使用することを決定した。
開始から30年以上、粘り強く研究に取り組み続け、ついにその用途が見出された「ニカロン」。世界の航空機エンジン市場では、今後、さらなる需要拡大が見込まれている。

32inch

日本カーボンの設立以来、100年の歴史を支え続けてきた黒鉛電極。1927年の国産初6-12in人造黒鉛電極製造の成功から、1930年代にかけて直径14inch、16inch、18inchと口径拡大に対応。
1951年に20inch、1958年に24inch、1996年に30inchと順調に大型化に対応した設備投資を進め、2006年には口径32inchの黒鉛電極を製造。
製造を担う富山工場では、2007年に新型電極加工機、2008年に容積を拡大した本焼成炉を導入し、黒鉛電極製造の全行程において、32inch以上に対応する最先端設備を備えた新鋭工場となった。

一世紀

日本の炭素工業は欧米にやや遅れて始まった。殖産興業を推し進める明治政府の方針に後押しされ、明治中期から末期にかけて若干の炭素工業会社が設立されたが、事業化が困難だったため、後発会社と合同、あるいは合併の憂き目を見ることになった。
1915年(大正4年)暮れに設立された日本カーボンは、翌1916年2月に横浜工場の操業を開始。当初から昼夜兼行で操業し、電気炉用天然黒鉛電極を製造して、3月には初出荷を果たした。
以来一世紀。日本カーボンは、我が国炭素工業のパイオニアとして、技術の進化を製品に具現化することで、国内外産業の発展に寄与してきている。

デミング賞

1985年、日本カーボンはTQM(総合的品質管理)の進歩に功績のあった民間の団体および個人に授与されているデミング賞の実施賞を受賞。1979年からはじめた独自の品質管理運動であるNCQの成果が認められた形となった。
NCQの目標を明確にし、トップの強力なリーダーシップのもと、全従業員の積極的参加によって管理システムを整備し各種手法を活用したこと、品質保証の徹底と新製品開発の充実に力を注いだことが評価された。
1976年、富山工場・滋賀工場から始まった品質管理運動は、それから40年経った今も、日本カーボンの製品品質を支えている。